はじめましての方ははじめまして。
当ブログ管理人のDAsanです。
ちょっとまえにアニメ ダンダダンのなかでの音楽に対するYOSHIKIのポストが、話題となり賛否両論になっていました。
音楽をやりたいと思ったきっかけがXだった僕も、そのPVを見たのですがなんとも言えない気持ちだったし、YOSHIKIが言いたい気持ちも、長いファンとしてなんとなくわかるし、古いオタクとしてはパロディーに対して大人気ないという意見もよくわかるので、今のもやもやとした気持ちを整理するためにも、古いX JAPANファンとしての考えと、ネットオタクとしての考えを書いてみたいと思います。
本当はYOSHIKIさんと書くべきですが、いちファンとして敬称略で書かせていただきます。
X JAPANの古いファンではあるが古参ではない

右は人と同じが嫌な僕が初めて新品を買ったHideモデルと同じ機能のあるギター
僕がX JAPANを聴くようになったのは、中学生の頃で今でもX JAPANとしての最後のオリジナル・アルバム「DAHLIA」が発売されたあとでした。
最初はDAHLIAに収録されていたForever Loveや、Longing、Crucify my loveなどのバラードが好きになり、エレキギターを弾き始めて、メタルバンドとしての凄さとかっこよさに一気に引き込まれてそれまでの全アルバムと、バンドスコアや、雑誌のインタビューなど高校生になってからのバイト代を注ぎ込んで買い漁っていました。
初期から応援されている古参の方からしたらぜんぜんにわかですが、それでもインタビューなどから知ったXが結成されるまでの経緯などを見ていて、それも含めて見た目以上に感情が突き刺さってくる音楽として当時は信者と言っていいレベルでX JAPANに陶酔していました。
自分の部屋の壁のほとんどがXとHideのポスターでしたし、エレキギターを始めて音楽をやりたいと思ったきっかけでもあり、Xに出会えなければ今の僕は無いと言えるくらいの存在でした。
ダンダダンのPVを見た感想
YOSHIKIのポストがトレンドになって知ったので、アニメを見たわけではなく、そのPVだけを見ました。
あえて動画を埋め込みませんが、
正直なんともいえない気持ちになりました。
X JAPANを聴き始めてからメタルキッズだったので、世界中のたくさんのメタルを聞いてきて、おじさんになってすっかり聞き飽きているのもあって、特別かっこいいとも思わなかったしX JAPANに音楽的に似せようとしているのか、似すぎないようにしているのか中途半端な感じがしました。
映像を見ると明らかにX JAPANを意識しているのがわかりますが、音楽の作りもサウンドも別物なので音楽だけを聴いたら真似とは思わない感じでした。
ただ映像を見ると、特徴を誇張して書かれているので意識しているのがわかりやすいですが、ギャグとしてなのか、ガチでやっているのかがPVを見ただけでは解りませんでした。
その時に僕もポストしたのですが、ギャグとしてやるのならわかりやすくもっとかっこ悪くしたらいいのにって感じました。
僕のギャグとしてのパロディー音楽のイメージは、銀魂での人気ランキング回の愛をとりもどせパロディーの曲と、旅館回の蝋人形の館のパロディーでした。
この2つは、かなり似ていてもダサい方にアレンジされていて、わかりやすくギャグとして成立していたので気持ちよく笑えましたが、
今回のダンダダンのPVは、PVを見ただけでは似せたパロディーをしたいのか、っぽいオリジナルとして作ったのかが中途半端すぎてわからなかったです。
若い世代がX JAPANを知るきっかけになればという意見もたくさん見かけましたが、あまりに中途半端過ぎて、知らない人がアニメだけ見たらX JAPANのパロディーと気付かないだろうし、これだと別にオリジナルを探そうとしないんじゃないかな?って作りだったので、
正直このPVからはX JAPANへのリスペクトは感じられませんでした。
もちろん、この作品に参加されたひとりひとりのアーティストの方はリスペクトを込めて制作に携わったと思いますし、そうポストされている方もいましたが、出来上がったPVが僕にはそう見えなかったということです。
でもこれは、X JAPANの古いファンの感覚なので、別に「これを見て面白がってんじゃねー!」とは全く思っていません。
今たくさんあるアニメの中でも評価の高い作品なので、そっちのほうが今のファンが多いでしょうし、それを楽しんでいるのなら別にそれでいいと思っています。
ダンダダンの一期の最初の頃は見ていましたが、古いオタクのおじさんには味が多すぎて濃すぎて胃もたれするので見るのはしんどいですが、映像的には素晴らしいアニメだと思っています。
YOSHIKIのポストについて
最初は「X JAPANに似てない?みんなどう思う?」みたいなポストをされていました。
このときは、「言ってくれたら僕が作ったのに」って気持ちだったんだろうと思います。
その後に何度かポストがされていましたが、その中でもダンダダンの中で演奏しているキャラクター名がHAYASiiとなっていることに言及していて、またトレンド入りしたり、ニュースになっていました。
本人もポストで言っていましたが、YOSHIKIの本名がハヤシで、YOSHIKIの父親は自殺により亡くなられています。
古くからのファンなら当たり前に知っていることですが、最近の活動の中で知ってなんとなくX JAPANかっこいいで見ていたくらいのライトなファンは知らない人もいると思います。
YOSHIKIがドラムを始めるきっかけでもあり、その悲しみややるせなさや怒りとかのぶつけ先がロックだったと過去の雑誌で読んだことがあります。
アルバムの歌詞カードだったり、雑誌だったりにバンドメンバーのプロフィールが紹介されたりインタビューで答えているなかで、誕生日や血液型などや本名までなんとなく公開されていましたが、YOSHIKIだけは自身のプロフィールを積極的に語ることはないし、表記もすべて「X」とされていました。
ただ、同級生のTOSHIと結成したということで、そこから本名も雑誌などに載ってファンには知られていました。
インタビューなどで「どうしてプロフィールを隠していたのか?」という質問に対して、決まって父親が自殺したエピソードを語っているのを見ていて、父親と共通するものになにか強いコンプレックスを感じているんだな。と個人的に感じていました。
だからキャラクター名についてはダンダダン側がライン超えしていると感じ、ファンとしては楽しめなく感じた原因でもあります。
プロモーターとしてのYOSHIKIはアメリカ人
X JAPANが世界進出するために、ある時からYOSHIKIはアーティストとしてではなく自分たちを世界に知ってもらうためのプロモーターとしての活動がメインになっていたと思います。
なんとしても世界にX JAPANを知ってもらうんだという執念にも思えるくらいに積極的に海外で活動している印象です。
まず、どうして海外でX JAPANを知ってもらおうとあれほどに動いているのか?
これは古くからのファンなら知っていることなのですが、X JAPANはもともと、Xという名前で、オリジナル・アルバム「Jealousy」が出るくらいのタイミングで海外進出を試みています。
その時に、すでにアメリカに「X」というバンドが居たために、「X JAPAN」と改名し海外進出をしようとしました。
その時のアメリカでの記者会見の動画を何処かで見たことがあるのですが、完全にアウェーの空気で「ちゃんと英語できるの?」みたいな割と小馬鹿にされているような、ぜんぜん受け入れられていない感じだったのを覚えています。
その時は海外進出を断念したのですが、おそらくそのときの悔しさと、亡くなったHideも海外進出を望んでいたということもあって、積極的に海外進出を目指して動いていたんだと思います。
最初の海外進出を目指したくらいから、YOSHIKIはほとんど日本に居ない状態なるのですが、それは海外進出をするためだったんだと思います。
そして、プロモーターとしての動きはアメリカに住んでいる中で身につけていったものだと思うので、日本人的な感覚ではなく、海外のような積極的なアプローチが自然と身についているんだと思います。
自己主張しないと誰も見てくれないよ。っていうね。
そういう感性もあって、今はSNSも使って積極的に発信したり、チャンスに繋がりそうなものに積極的に関わろうとしたりしているんだと思います。
そういった点で今回の対応が日本人の感覚としては器が小さく見える部分になったんだと思いますが、プロモーターとしてもSNSを使う感覚としても自分の気持ははっきり言わないと伝わらないアメリカ人的な感性でやっていると思うので、そこはしょうがないと思います。
YOSHIKIは2025年で還暦
YOSHIKIは未だにあんな見た目だから、気づかないと思いますが、1965年生まれなので、今年還暦です。
そんな人が、SNSで積極的に発信しているんですから、今どきの若い子が自然と身につけるインターネットリテラシーとかを自分なりに学ぼうとしながらだったり、周りのスタッフに助けてもらったりしながらもやってるわけですから、多少のことは大目に見てやって欲しいと思います。
個人的には、もう十分すぎるほどに世界にX JAPANを知ってもらえたと思うから、もうしんどい思いをしなくていいから、インターネットから離れてピアノ弾きながらレジェンドとしてあとは静かな暮らしをしてくれって思います。
いまだにX JAPANにオリジナル・アルバムを求める声もありますが、もう勘弁してあげてほしいなって個人的には思っています。
YOSHIKIは本当の意味で本来の意味でのアーティスト
これは、今回のこととは関係なく、せっかくこれだけYOSHIKIのことを書いたので、僕が思うYOSHIKIというアーティストについて最後に書いて終わりにしようと思います。
色んな人が音楽をやりたいと思って自分なりの表現を求めたりして「オリジナル楽曲」を作るわけですが。
そういうのって残念ながら誰も聴いてくれません。
このインターネットには誰にも聞かれていない名曲がたくさんあると思っています。
じゃあどうしたら聴いてもらえる曲が作れるのかと言うと、自分が作りたい曲ではなくて、みんなが聴きたくなる曲、流行っている曲調、ジャンル、そういったものに最低限寄せる必要があるわけです。
ただ聴いてもらうだけならまだしも、音楽で生活しようと思ったら、それはもうビジネスになるわけですから、そういうたくさんの人が聞きたいと思うような音楽をひたすら作るしか無いわけです。
そういうふうに作られた音楽を僕は商用音楽と言っています。
みんなが使いやすいようにデザインされて作られる商品と同じです。
一方で、まわりの意見は関係なく、自分が表現したいものをとことん突き詰めて作られたものがアートだと思っています。
どうやって使うかわからないけどなんかすごそうな芸術品と同じですね。
YOSHIKIが作る音楽はそういう意味で商用音楽ではなくアートだと思っています。
近年のYOSHIKIの依頼されて作っている音楽は商用音楽っぽくなっていますが、Xとして作っていた音楽は間違いなくアートだったと感じています。
Xのオリジナル・アルバムは結成の1982年から最初の解散の1997年の15年間でインディーズ含めて4枚だけです。
再結成後もオリジナル・アルバムは出ていません。
Xが最初に所属していたソニーの時代に、YOSHIKIがレコーディングで妥協しないことでアルバムを作るにあたって「YOSHIKIのわがままを止められない」ということでソニーとの契約がきれて、世界進出を目指すタイミングでワーナーと契約をするわけですが、
音楽事務所としてはアルバムを作って売って初めてビジネスが成り立つわけです。
アーティスト側のこだわりによって、それが止まるのはビジネスとしては損なので当然です。
しかし、いまのX JAPANの世界的な評価を見てもわかるとおり、YOSHIKIが妥協なく発表した過去の楽曲は20年以上たった今でも世界中で評価されているわけで、
それはその時代のニーズにあわせた音楽でもなく、スケジュールに間に合わせて作られた音楽でもなく、
ひたすらにこだわり抜いて作られた音楽だから、思いが込められた芸術作品のように、世代や文化を超えて世界中で評価されているのだと思います。
だからYOSHIKIの音楽はアートであり、YOSHIKIは本当の意味でアーティストだと思っています。
オタク語りに付き合ってくれてありがとうございました。
多感な時期にX JAPANに出会い、出会った直後に解散。そして大好きだったHideの死。
それをリアルタイムで見てきたものとして、今回のことはなんかもやもやしたので、これを機会にX JAPANオタクとして、音楽オタクとしてだらだらと書かせていただきました。
僕はX JAPANに出会って音楽を始めたけど、結局その音楽でまったくなにも出来なかったから、本気でX JAPANとHideに向き合っていて憧れていたあの頃の僕に対してめちゃくちゃコンプレックスを持っています。
だから、これまでX JAPANについてこうして書きたいと思わなかったですが、今回の件はなんだか書かないとこのもやもやが晴れない気がしたので、こうして書いて残すことにしました。
この記事を書いている時点で、ダンダダンの方で進捗がありYOSHIKIとなにかいい方向での動きがありそうですね。
前向きに解決しそうで良かったです。
まとまりのない、長い記事になりましたが、お付き合いいただきありがとうございました。
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